11月21日


清貧
Holy Poverty

友よ、
ここでお会い出来て感謝しています。

こんな話があります。
ある貧しい人は死んで天国の門をノックしました。
しばらくして聖ペトロが出てきて門を開けました。
その時、
天国の奥深い方から「だれですか」と
父なる神様のみ声が聞こえてきました。
「ひとりの貧しい人です。
手ぶらで、何も持っていないですが」と
聖ペトロは答えました。
すると父なる神様は、
「貧しい人なら入らせなさい。
我が子イエスは山上の説教で、
『自分の貧しさを知る人は、幸いである。
天の国はその人のものだからである」と言ったのだから」
と言いました。

私たちは貧しさよりも豊かさの方がいいと思いがちです。
これは当然なことです。間違ってはいません。
持たないことよりも持っている方がましだとだれでも考えます。

しかし
人は自分が本性的に貧しい者だということを忘れたら、
それこそ不幸と失敗を招くことになります。

「金銭欲はすべての悪の根源です。
ある人々は、金銭を追求するあまり、
信仰から離れ去り、さまざまなひどい苦しみで
みずからを刺し貫きました」と聖パウロはテモテに書きました
(1テモテ6:10)。

「持つ」ことの危険性は
金銭や物質だけに限ったことではありません。
精神的な蓄えもあります。
学力や地位や権力などはその類のものです。

キリスト様を拒否した人たちの中には
かなり宗教的な知識に恵まれた人々もいました。
自信過剰だったのか、
狂信的なのか、
とにかく彼らの知識や身分は、
キリスト様との出会いでは邪魔になりました。
***

主よ、私は貧しいものだと悟られて下さい。
Lord, help me know my poverty

では、
また明日お会いしましょう。
ペトロ神父





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