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[始めるためのひとこと]
きっといい日
つらい思いを抱えて日々を生きている人を励ますための「日めくりカレンダー」
というものを出版したところ、幸い評判もよく、「元気づけられました」 「毎日楽し
みにめくっています」など、いろいろな方からの反応があった。
これは、ひと月分三十一枚がつづってあるもので、その日ごとのオリジナルのこ
とばを二行詩にして書いたのだが、このことばを考えるのは思いのほか大変だ
った。散文は書きなれているのだが、詩となるとそう簡単にはいかない。
散文の何倍もの時問がかかる。まして二行詩となると、さらに何倍もの時間がか
かる。しかも、出版社の注文は「わかりやすく単純なもので、しかし平凡でなくオ
リジナルなものを」とか、「宗教臭くなく、だれにでも受け入れられるいやしのこと
ばで、しかしちゃんと根っこにキリスト教の福音が感じられるものを」などという、
およそ無理な注文だったので、腕組みしたまま何日も、うなり続けるというような
生みの苦しみを味わわされた。
心がけたのは、どこか「天」を感じさせるようなことばを、という点である。
つらい思いを抱えている人は、当然のことながら現実の世界で苦しんでいる。
弱い体、傷つきやすい心、暴力的な社会、すなわちこの世という限界ある「地」を
生きているからこそ苦しんでいるのであり、それは最終的にはどうしたって「地」
の努力では救われない。どれほど科学や医学が進歩しようとも、どんなに優れた
思想家や政治家が現れたとしても、それは、実は赤ん坊が赤ん坊を助けようとし
ているようなことであり、究極的には、すぺての生みの親である「天」とつながら
なければ、「地」の苦しみをいやすことはできない。
出口のない闇の底でうずくまり、つらい思いから逃れられずに苦しんでいる人が、
ふと目を上げると小さな日めくりカレンダーが目に止まる。たとえばそれが31日な
らぱ、こう書いてある。
さあもう寝よう
あしたはきっといい日
なぜあしたはいい日なのか、どうして「きっと」などと断言できるのか、なんの根拠
もない。だいたい、だれがそう言っているのか、どういうつもりで「もう寝よう」など
と呼びかけているのか、なんの説明もない。
しかし、本当につらい思いをして、本当に救いを求めたことのある人なら、きっとわ
かるはずだ。これは「地」のことばではなく、「天」からの声なのだと。そのような完
全な世界、永遠の世界に触れなけれぱ、決して真の救いはない、ということを。
そんな天の声を信じて眠りについた者に、必ず「いい日」はくる。健康だろうが病
気だろうが、成功していようが失敗続きだろうが、「地」のどんな条件とも全く無縁
に、「いい日」がくる。なにしろ天の声である。百パーセント断言できる。
さあ、もう寝よう。あしたは、きっと、いい日。
そうして迎えた朝、このカレンダーをめくると、1日にはこう書いてある。
いま 目覚めたこの朝が
新しい人生の始まり
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