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  8月3日17時00分   再び・・・出発。   投稿者  溝江直樹 さん

 何で、引き分けというルールないのだろう。
 わたしはこの世では、あまり幸せになれそうもない。という理由だけじゃあないが、わたしは天国に行きたい。



  8月3日16時12分   年間第18主日   投稿者  ヨハネ さん

 イエスは、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。(マタイ14章 13-21)

主は言われる。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしは、あなたたちと永久の契約を結ぶ。(イザヤ55章 1-3)

「(夏草を這い上がりたる捨蚕かな)村上鬼城 :この句は写実による伝統俳句で、捨てられた蚕への憐れみと同時に、社会に見捨てられた人々への同情を暗示(隠喩)しています。」

人の作った一個のパンは、一人の隣人の飢えしか満たすことができません。しかし、神のパン(主イエス)はひとつでも、すべての人々を物心両面において満腹させることができます。信徒は気負わず、弟子たちのように命のパンの給仕役に徹した方が、より多くの人々に神のパンを行き渡らせることができるのでしょう。

「主よ、あなたの日々の恵み、命の糧に感謝します、

飢えた人々に、あなたの命のパンが隈なく届きますように、

父と子と聖霊の御名によりて・・・アーメン」




  8月3日12時25分   暑中お見舞い申し上げます   投稿者  風知草 さん

 掲示板の皆々様 マリア!
長い間御無沙汰をしておりました。皆様方の多くのお祈りにより、風知草は元気に致しております。お一人お一人のお名前を、挙げるには余りの多さに、失礼させて頂きます事お許し下さいませ。
皆様方が、夫々の与えられた立場に一生懸命に使命を果たされております様をみて、感激しております。
八月六日(広島)  九日(長崎)今年も原爆投下の日が来ました。治療で僅か七週間左胸を放射線で焼いた・・・その時の糜爛の苦しみに 比べるべきものでは有りませんが、どの様な思いだったか、今でも想像さえ付きません。天に召された方々、今も尚苦しみの中に居られる方々の為に、6日 と 9日 の、御ミサを当方の神父様に依頼してまいりました。

皆様も申すまでも無くお祈りなさると思いますが、お心合わせてくださると嬉しく思ったものですから、御知らせいたしました。私は皆様の大きな祈りに支えられて、私に与えられているであろう使命に少しでも近づき、頑張れたらいいなぁ・・と、思っております。宜しくお願い致します。まだまだ暑さが続きます、皆様の御健康お祈り申し上げております。  賛美と感謝ーー祈りのうちにーー




  8月2日17時11分   優先順位   投稿者  ヨハネ さん

 PAOLO様:たとえ完徳なる善意の人でも神を信じない人は、神の国へは行けません。(人の国ではなく神の国ゆえ)でも、たとえ完徳でなくても神を信じ愛している人は、神の国の近くに在るのではないでしょうか。徳や善を積めば神の国へ近づくとゆうより、神と共に生きれば、徳や善行は後からついてくるものだと思います。

 あこやがい様:主イエスは、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た」と言われました。人は誰もが、罪人です。でも自分の罪を認める人は救われますが、自分は正しいと言い切る罪人は神でも救いようがないのではないでしょうか。主とともに十字架につけられた二人の罪人は、私たちが天国行きか、あるいは地獄行きの切符を購入するかの選択を暗示していますよね。

「願わくば、父と子と聖霊なる三位一体の神に御栄えあれ、

いまも、いつも、世々に至るまで・・・アーメン」




  8月2日16時31分   お祈り   投稿者  ラッキー さん

一日にロザリオ四環と連祷を何回か繰り返していたら体調がよくなってきました。




  8月2日11時07分   教えてください   投稿者  PAOLO さん

 洗礼を受けて、6年です。 最近わからなくなったことがあります。
天の父が完全であられるように、あなた方も完全でありなさい。 人間はどんなに努力しても、神様のごとく、具体的には、イエス様のような愛の持ち主には、なれないと思うし、なれたと思う傲慢という罪がどこまでも付きまとうと思います。  天の父が完全であるようにーーー

 というところは、完全に天の国に入る為には、完全な人の自由意志、何者にも強要されない自由意志で、信仰を選択することだと思っていました。(よってカール大帝が信仰を征服した市民に強要したことを、批判し、我らの普遍の教会は、宣教においてはもっとも自由意志を尊重していると思います)よって、神様に赦されて天の国に入れるのだと思ってきました。

イエス様とともに十字架にかけられて、信仰告白して、人類で最初に、天の国に入った右側の泥棒は、肉を離れる寸前までは、悪い麦であったと思います。 人間は、自身の努力で、天の国に入るのか?でもこれは、不可能であり、どんな人も、神様から見たら50歩100歩だと思います。 決定的な赦しの洗礼とその後の原罪のしこりが故の悪行を赦していただける赦しの秘跡により、赦されて、天の国に入るのか?もし、赦されて、天の国に入るというならば、完徳への歩みは、天の父との心情関係で必要だと思いますが、最終的には、人間の努力によるのではないと思います。

人が、完徳への歩みをするのは、必要最低条件ですか?
あるいは、すでに天の国に入っているものとして、天の父に、近づく訓練課程ですか?




  8月1日4時02分  焼かれちゃうのかな?    投稿者  あこやがい さん

 自分が良い麦だと言う自信がないです。
私はフィリピンでは裕福なクラスになります。同じ国に食べるに困る人たちがいるのに、ゆったり生活してるし、心に悪いところもいっぱいあります。 財産を全部捨ててなど、今はちょっと考えにくいなあ。 心の悪いところだけ神様が引き抜いてくださるのかな?それは虫が良すぎますか?  
あこやがい




  7月27日17時26分  年間第17主日   投稿者  ヨハネ さん

 イエスは、人々に言われた。「世の終わりには天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。」(マタイ13章 44-52より)

 神の国への道程はヨハネの黙示録に啓示されていますが、人の思考の領域を超えています。しかし、それは思考を停止して妄想することではなさそうです。思考できることは極限まで突き詰め、疑わしき偶像は徹底的に排除して、その思考を超えた先にある啓示に、祈りをもって委ねることが大切だと思われます。ただし、その基盤である信仰なしには、道はすぐ行き止まりになってしまいます。あくまでも、その原動力は一途な信仰心なのでしょう。(ヨハネの黙示録は、信仰なき怪しき新興宗教にたびたび、悪用・乱用されています。)

「主よ、あなたの声を聞きわける耳と、

御国へ向かう標識を見分ける目をお与えください、

父と子と聖霊の御名によりて・・・アーメン」