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聖パドレ・ピオ(聖ピオ神父)

8月28日 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 主の頼み 「イエス様は私たちに 重い十字架を 背負うように 頼まれません ただ ご自分の重い十字架の 小さな一部分だけを 背負うように 頼まれます。」 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 主よ その小さな一部分とは 十字架のかけら という意味ですか 小さなかけらでも 痛いです。どうか 反発や絶望のために 化膿しないように 力づけてください 下段の文はペトロ神父の祈りです。 |
一言・・・ 一個のプリズムで一条の光が分光して多彩となりますように, 神様が、度々一人の人間を通して私たちに重大なことをいろいろ教えてくださいます。 この度、このページで、神様が聖ピオ神父を通してカトリック信徒として大切にすべき さまざまなことを教えてくださいましたことを、伝えたいと思います。 具体的に言いますと、 @ご聖体 A聖母マリア様への正しい信心 B赦しの秘蹟を受ける大切さ C煉獄の霊魂のために祈ること D教皇様はじめ教会のために祈ることです。 ご了承をお願いいたします。 ペトロ神父 ********************************************** T @ご聖体 ![]() 主よ、最後の晩餐の時 私たちのことを考えて ご聖体を定めて下さいましたことを 深く感謝します。 ********************************************** A聖母マリア様への正しい信心
私たちの天の母、聖母マリア様、私たちのために祈って下さい。 私たちがキリスト様の約束にふさわしいものとなりますように。 ********************************************** B赦しの秘蹟を受ける大切さ ![]() 罪の赦しをくださった神に感謝を捧げましょう。安心して下さい。 平和と喜びのうちにお帰りください。
********************************************** C煉獄の霊魂のために祈ること ![]() 主よ、みもとに召された人々に、永遠の安らぎを与え、 あなたの光の中で憩いわせてください。アーメン。 ********************************************** D教皇様はじめ 教会のために祈ること ![]() 主よ、聖霊をつかわして教会を導き すべての人々の励みになりますように。 ********************************************** U 小さな黙想 「黙想や 聖体拝領 またはさまざまな信心ができなくても 心配しないでください。 その代わり 主に委ねて 霊的聖体拝領をし、小さな祈りをささげなさい。」 (聖ピオ神父の言葉) ********************************************** V 私たちの祈り 主よ 落ちついて祈れないときが、度々あります その時、どうぞ力づけて祈れるようにしてください
********************************************** W 列福・列聖 「この人」 (「聖母の騎士」1999年8月号<この人 ‘99>より)転載 福者になったピオ神父(1887−1968)が聖人の前段階である「福者」の列に加えられた。 死からわずか31年後というスピード列福である。 それもそのはずピオ神父は、存命中からすでに「聖人」の誉れの高かった人。 アシジ゙の聖フランシスコと同じ、キリストの聖なる5つの傷(聖痕)を受けた ピオ神父の生涯は、聴罪師の明け暮れだった。 去る5月2日、バチカンのサン・ピエトロ広場、ビオ神父(パードレ・ピオ)の「列福式」が行われた。 列福とは、福者に列するという意味。カトリック教会では、聖者(聖人)に列する前に、 まず福者という位に挙.げる習わしになっている。 ピオ神父も、やがて「聖人」と呼ばれる日が来るだろう。 ピオ神父の列福式には、約30万人が集まった。 人の波は、広場から溢れて聖天使城近くまで広がった。 教皇ヨハネ・パウロ2世は、群衆に向かって語りかけた。 「祈りと兄弟姉妹の告白(懺悔)を聴くことに生涯をささげた、この謙遜なカブチン会士は 世界を強く驚かせました」 ピオ神父の人気は、どこから来るのだろうか。かれは、優れた説教師ではなかった。 本を書いたこともない。司祭になってからは、手紙を書くことさえ許されなかった。 ピオ神父の務めは来る日も来る日も、朝から晩まで、告白室にこもって 信者の告白を聴くことだった。 イタリアはもとより、世界中からピオ神父に罪を告白し、赦しを得たいと信者たちが 押しかけた。晩年には、神父のもとに毎日、800通近い手紙が届いていたという。 神父に告白した信者は特別な恵みを受けたことを確信し、感謝を込めて手紙を送った。 しかし、神父には、その手紙を読む暇はなかった。 ピオ神父は1887年、イタリァ南部の田舎町、ピエトレチーナで生まれた。 少年時代は、一見普通の子どもだったが、時々、主キリストや聖母マリアの ビジヨンを受けていたという。15歳でカプチン・フランシスコ修道会に入り、 81歳で亡くなるまで52年間,入会した時と同じサン・ジヨバンニ・ロトンド修道院で過ごした。 ピオ神父を有名にしたのは、なんといっても聖痕。 聖痕とはイエス・キリストが十宇架で受けた両手、両足、わき腹の5つの傷を指す。 1918年9月20日、ピオ神父の体に突如として聖痕が現れた。 それから50年間傷が消えることはなかった。 聖痕だけではなく、ピオ神父には他の超常現象もあった。 そのひとつ。悪魔の暴力を受けた。80歳の時、ある晩神父は車椅子もろとも 床に投げ出され、何者かに全身を殴られた。 修道院の仲間たちは、その時、地震が起きたと思ったほどの大音響を聞いている。 ピオ神父は苦しむ人、祈る人であった。その一方で活動家でもあった。 かれが造った「苦難救助の家」(病院)は、今では最も近代的な病院になっている。 かれの働きによって、カプチン会では26カ所の障害者施設を運営している。 ピオ神父の偉さは、力トリック信仰の基本を忠実に実行したことにある。 聖母マリアに対する信心やロザリオの祈り、煉獄(清めの場)の霊魂たちのための祈り、 教会と教皇のための祈り、そしてミサと聖体を大切にすること。 ********************************************** 「カプチン会に新聖人」 ピエトレルチーナの聖ピオ【バチカン6月16日ロイター共同】 (「カトリック新聞2002年6月23日付け」より)転載 教皇ヨハネ・パウロニ世は六月十六日、バチカンのサンピエトロ広場で、カプチンフランシスコ 修道会の福者ピオ神父(修道名=ピオ・ダ・ピエトレルチーナ)を列聖した。 ピオ神父、フランチェスォルジオーネ(1887−1968)は、キリストと同じ 「聖痕」を受けたとされる二十世紀の神秘家。 列聖式では、気温が33度まで上がる、うだるような暑さの中、30万人以上の 巡礼者たちが、サンピエトロ広場とその周辺の街路を埋め尽くした。 ローマ市当局は、百万本ほどのミネラルウォーターを配り、消防士たちが 群集の上に散水し、暑さをしのげるよう配慮した。 八十二歳の教皇が、金色と白の祭服に身を包み、ピオ神父の列聖を宣言すると、 大歓声と拍手がわき起こった。 「私たちは、ピエトレルチーナのピオを聖人の列に加え、全教会において他の聖人たちと共に 崇敬を受けることを定めます」と教皇は、ラテン語の列聖式文を読み上げた。 イタリア南部の町サン・ジョバンニ・ロトンドでは日中にもかかわらず、花火が打ち上げられた。 ピオ神父が修道院内でその生涯の大半を過ごしたこの町は、 今では一大巡地なり、ピオ神父を慕って訪れる人が絶えない。 バチカン周辺にまであふれた巡礼者たちに配慮し、教皇は、テベレ川からバチカンに至る 1qほどの大通りをオープン・ジープ゚で通り、サンピエトロ広場に入った。 教皇は、二時間半に及んだ列聖式ミサ中、元気そうに見えた。 教皇は、1968年に81歳で帰天したピオ神父を特に崇敬していると言われている。 ピオ神父は、修道院の個室内で悪魔と格闘したり、訪問者の将来を予言したり、 痛悔者が告白する前にその内容を知っていたとされるほか、 同時に複数の場所に現れたとも言われていた。 教皇は説教の中で、第二次大戦後、自分がまだ若い一司祭だったころ、ピオ神父を訪れたことを 思い起こし、ピオ神父に告白を聴いてもらう「恩恵」に浴したことを紹介した。 教皇はミサ後の昼の祈りで、ピオ神父の記念日が九月二十三日に設定されたことを紹介し、 全世界の教会で「義務として」祝われる、と付け加えた。 ひげをたくわえていたピオ神父は、ほとんど修道院にこもっていたため、 人々は予約をして、告白を聴いてもらわなければならなかった。 ピオ神父は、キリストが十字架上で受けた傷に対応する、両手、両足とわきに傷を受けた。 同神父は、傷からの出血を吸い取り、隠すため、指なしの手袋を着け、 ミサの時以外は外さなかった。 医師たちは、壊疽(えそ)も起こさなければ感染症も起こさなかった、 その傷について医学的な説明が全くできなかった。 **********************************************
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